第10回翻訳コンクール 1次審査選考講評

第10回翻訳コンクール 一次審査講評

文芸翻訳家を目指しておられる方がプロとしてデビューできる場を提供したい、また既にプロとして一本立ちなさっている方の活躍の場を増やしたいとの願いを込めて始めた当コンクールですが、今年でめでたく10回目、つまり10周年を迎えました。これはひとえに、文学を愛する皆さま方のおかげだと感謝の気持ちでいっぱいです。と同時に、今後いっそう気を引き締め、もっともっと多くの応募者の方々の支持を得るようがんばりますので、よろしくお願いいたします。

今回の課題文は、ナイオ・マーシュ著の “Singing in the Shrouds” (第1章)からです。ナイオ・マーシュは英国の女性探偵小説家で、本作品は1958年に刊行されたものです。評者には、不勉強なことに、初めて読む作家だったのですが、いくつもTVドラマ化された作品のある人気作家だったようです。

偶然ではありますが、前回課題文を引用した “Death at the Opera”のグラディス・ミッチェルも英国女流作家でした。やはり、イギリス独特なのでしょうか、含みのある文は訳すのが骨ですね。それにしても、応募者の皆さんはよく調べ、丁寧に取り組んでいらっしゃると感心いたしました。

【ポイントチェック】
* p.1, 6行目 “Their gestures as they bowed and turned became pontifical.” 何隻もの外洋船それぞれの船荷を積み降ろしする、頭部を霧に隠されたクレーンのお辞儀したり向きを変えたりする動きを表現しています。pontifical を「尊大な」とか「偉そうな」とした訳が多かったのですが、これは「儀式めいて、型にそった、形式にのっとった」といった感じではないでしょうか。

* p.1, 15行目  “He solaced himself with thoughts of matrimony, promotion and…..”      
「結婚や昇進を思い出して気を紛らわせ…」と過去のことを思い浮かべると取ったものがけっこうありましたが、これはやはり、希望、夢としてでしょう。

* p.1, 20行目 “…. one of whom he recognized with interest as the great TV personality, Aubyn Dale.”  with interest があるため、大半が「その中のひとりがオービン・デールだと気づいて興味を持った」というような訳になっていました。なるべく興味という言葉を使わず「その一人はなんとテレビで人気の司会者、オービン・デイルではないか。」などとすると、こなれた文(この作品のように軽みのある小説では)になると思います。

* p.2, 28行目 “ ’Alf a minute! ‘Alf a bloody ar, more likely.”  タクシー運転手の言葉は
訛りが強くて、まずは理解するのに、それから訳し方に苦労されたことでしょう。「なにが30秒だい! もう30分になるじゃねえか」ですね。その他、運転手の口調を東北弁っぽくしたり、べらんめえにしたりと工夫はいろいろありましたが、あまりに強めるとしつこくなりすぎるので注意が必要です。

* p.5, 4行目~7行目 沖仲仕の一人が「なんか事件かい、お巡りさん( = Copper)」と声をかけ、もう一人は「(例の)花殺人鬼を捕まえてちょうだい、警視さんよ( = Superintendent)」と言います。これは明らかに(警察に対するある種の不信感を込めて)揶揄して発している言葉なので、そのニュアンスを伝える工夫が必要です。また、the Flower Killer がなんのことを指すのかは明確ではありませんが、世間を賑わしている殺人犯と推察するのが妥当でしょう。

* p.5, 8行目 “And walked away: a man alone on his job.”  「軽くかわして、歩き出す。 孤独な任務を続けるために。」といった感じでしょうか。

以上、特に気になった箇所のみを取り上げましたが、他にも疑問点は多々あったことと思います。そしてそれは、課題の範囲がプロローグに留まっていて、事件がこの後どう発展していき、どんな結末を迎えるかわからないのが大きな理由のひとつだったのではないでしょうか。そういったことも踏まえて、今回のように小説の一部を訳す場合、“わかる範囲で筋を通し、一貫性をもたせ、読者が安心して読める”ようにするのが大事だと言えます。
自分なりに登場人物のキャラクターをしっかり描き、年齢層、社会的位置、口調などを設定すると人物像がいきいきしてきます。今回なら、モイア巡査、タクシー運転手のイメージをどう描写するかですね。