第12回翻訳コンクール 一次審査講評

 課題作品は、二次審査においても使用するため、ここでは伏せさせていただくが、著者は現役バリバリのミステリー作家である。彼の作品は単なる謎解きではなく、表現の流麗さと巧みなストーリー展開で知られている。
 今回の課題部分は、その中途を抜き出したものであるため、当然、わかりにくいところもあっただろう。そういった箇所は審査の対象から外しているのでご安心を。
 それにしても、今回はほぼ全滅だったと言っていい。いつも言うようだが、文芸翻訳で原文に忠実に訳すことだけにかまけているようでは、少なくとも弊社の翻訳コンクールからプロとしてデビューすることは難しいだろう。
 今回、評者が最も重視したのは、ラブシーンの詩的とも思える美しさだ。露骨な言葉を使わずに、どこまでいわゆる〝濡れ場〟を日本語で表現できるのか。あるいは、小説の文章たりえているのか。一次審査の成績はさておき、二次審査では同じ小説を取り上げることもあり、文芸翻訳家にふさわしい表現に全力を傾注していただきたい。
 
 一次審査の合格者は21名。うち、A-:2名、B+:9名、B:10名。
 なお、この評価の内容については以下のとおり。
 
A+:当校研究室レベル
A:当校研究室レベルに今一歩
A-:日本語、英語力ともに一応の合格点
B+:日本語、英語力ともにもう少しの努力が必要
B:日本語は一応の合格点だが、英語の理解力がやや不足
 
おわかりのように、一次試験の合格レベルは少なくともA-だ。今回の結果は、二次試験への期待を込めてのこと。
 
【ポイントチェック】
* p.1, 11~12行目 “……something like the first back- straightening jolt of the Jota in low gear,……”
このJota(ホータ、ないしはイオタ)は車ではなく、大型のバイクのことだと思います。それがlow gearで走り出すとき、馬力が強いため、身体を後ろへ持っていかれそうになる、その衝撃のことを指しているのでしょう。
 
* p.1, 18行目 “And the worst part was that the desire was there, but fouled, short-circuited.”
ここは、主人公が最後の女性とのセックスに失敗したときの心身の痛手を語っているところです。したがって、欲望はありながらも、機能しなかったこと、あるいは暴発してしまったことが最悪だった、と言っているわけです。
 
* p.1, 19~21行目 wooden sandals(木のサンダル)が、20行目でshoesになっています。細かいようですが、このshoesを靴と訳してはまずいでしょう。せいぜい、履物です。
 
* p.2, 17~18行目 “A swimmer’s back, he thought, scalloped and lean,……”
ここは、scallopedをどう表現するかです。女性スウィマーの背中だ、と言っているわけですから、筋肉質な感じではなく、左右の肩甲骨がホタテ貝を思わせて丸みを帯び、それが引き締まった腰へと続く、といったところでしょう。
 
* p.2, 25~26行目 “It felt strange to be so sober, so acutely present.”
このsoberは、しらふ、ではありません。これほどしらふでいるのは不思議なことだ、では日本語として意味がわかりません。酒を飲んでいない、つまり意識が冴え冴えとして、しかも明澄な現実感がある、の意でしょう。
 
* p.3, 21~22行目 “This is as far away as you can get from yourself and still get back.”
ここは意味は取りやすいのですが、良い文章が少なかったところです。“自分自身からできるだけ遠くへ離れて、しかもまだ引き返すことができる、その限界がここなの”ぐらいでしょうか。
 
* p.3, 24行目 “It’s reductive.”
ここは、還元主義、といった訳が多かったのですが、意味がよくわかりません。こういうところは、とくに恋人同士の会話なのですから、わかりやすくするべきでしょう。要するに、“単純なことよ”といった意味だと思います。
 
* p.3, 30~31行目 “What are you?”
この訳も、あんたは何? ではあまりに乱暴です。やはり、あなたはいったい何者? ぐらいでしょうか。こういうところはさほど違いがないように見えますが、これこそ似て非なるもの、プロがいちばん気を使うところなのでご用心を。
 
* さて、あとはラブシーンです。訳者の経験値(!)や表現力、小説の読書量(これは絶対に軽んじてはいけません。年間百冊ぐらいは当然だとお考えください)、そして感性がもっとも問われるところです。またこれは、評価する側にとっても大変むずかしく、ひょっとしたらこちら側の勘違い、あるいは評価能力不足ということもあるかもしれません。そのときは平にご容赦を。
二次試験では、英文を訳すということよりも、日本語で表現するという行為に絞ってみて下さい。誤訳(致命的な誤訳は別にして)を恐れていては、文芸翻訳家を目指すpermanent amateurで終わりかねません。健闘を祈ります。