第15回翻訳コンクール 二次審査講評


 今回は最優秀者にHAL90さんが決定しました。おめでとうございます。すでにご案内したとおり、当コンクールは最優秀がゴールではなく、それは中篇を試訳する資格が得られたものとお考えください。もちろん無料で、何回でも受けられます。当方もきちんとチェックいたします。そうすることで、翻訳家としてデビューするに相応しい実力を身に着けていただければと思います。HAL90さんにはこれから、二百ページほどの中篇を訳出していただきましょう。頑張ってください。
 さて、今回の講評についてですが、私の〝採点法〟は減点方式です。つまり、百点でスタートし、七十点を切ったところでストップするというものです。これは、普段の授業や通信講座のチェックとは根本的に違います。これからうまくなろうとしている方の訳稿は最後まで見ますが、プロとして通じるかどうかをチェックするこのようなコンクールの評価方法は自ずと異なるのが当然でしょう。そして今回、残念ながら、HAL90さんを除く全員が半分の手前で点数切れとなってしまいました。
 今回、特に気になったのが、訳し過ぎです。まずは、文章の贅肉をとことん削り取る訓練をしていただきたいと思います。削って削って、さらに削ってみてください。あれもこれも詰め込んだような文章では落第です。
 丁寧に訳すぐらいなら誰にでもできます。自分の文章に潤いがあるかどうか、それを見極めるのは、贅肉の削ぎ落としがすべて済んでからのことです。自らの誠実さに裏切られないこと、これが肝要です。
 たとえば、「今夜のうちに片付けてしまうに越したことがないのは明らかだ」という文章――これは、「今夜のうちに片付けてしまうのが一番だ」としたほうがよほどすっきりするのではないでしょうか。
 また、日本語は主語を省ける言語です。初心者ほど主語を多用する、というのは昔から言われていることなのに、未だに、Heとくれば必ず彼は、と訳す人がびっくりするほど多いのです。
 もう一つ、今回の出題では、前を読んでいなければ正確には理解できない箇所があったことをお詫びします。申し訳ありませんでした。その部分はもちろん、評価から外していますのでご安心ください。
では、具体的にいくつか問題となった箇所を挙げて見ましょう。
 
 
【ポイントチェック】
* p.1, 1行目 ~and threw back the curtains.
カーテンを開けたのか閉めたのかで分かれましたが、ここは開け放ったでしょう。そうして外の風景を眺めたわけです。
 
* p1, 5行目 ~he double-checked his perspective.
このperspectiveは、外の眺めではなく、これから自分が為すべきこと、つまり計画のことです。
 
* p1, 第3パラグラフ
p1の第3パラグラフは、前述した、評価から外した部分ですが、この中の、Theyが何を指しているのかよくわかりません。情報機関のことなのか、シェパードとカーラのことなのか。
おそらくは情報機関のことで、闇より光を怖れる数少ない存在の一つであり、今更引き返すわけにはいかない、といった意味でしょう。
 
* p1, 第4パラグラフ
銃の試射をしたのはバスタブに張った水中でのことだし、銃弾が貫通するのは衣服の量というより、シュミットの服を、としたほうがすっきりします。
 
* p3, 下から10~11行目 They were the only introduction of eccentricity, but they were striking, and they waited on the tables with a somber, detached efficiency.
ここはちょっとややこしい。色々な訳がありましたが、どれを模範訳とすべきか迷うところです。私ならば――
大して奇抜ではないものの、目立つことは間違いなく、彼女たちは生真面目かつ取り澄ました態度で、手際よくテーブルを回って給仕している。
また、このwait onは、控えているの意ではありません。給仕するで、この手のケアレスミスにも十分注意していただきたいと思います。
 
* p6, 中段
この場面――二人の男が人混みでばったり顔を合わせる。一方の男が変装しているために、他方は相手の正体に確信が持てない。そこで男は、混み合った場所で人とぶつかったときにさり気なく「失礼」と言うような調子で、しかもアメリカ人らしい引き伸ばしたしゃべり方で、「How are you?」と声をかけたのです。さて、このHow are you?をどう訳したらいいか。
こういう場合、ご機嫌いかが、とはまず訊かないでしょう。「やあ」が一番近いように思いますが、引き伸ばしたしゃべり方にしては短すぎはしまいか。「失礼」と言うのは簡潔さではなく、心のこもっていない挨拶という意味なのでしょう。
私にとっては、こういうところがもっとも神経を使う場面です。私ならば――「ああ、どうも」ぐらいでしょうか。しかし、あまり自信はありません。
 
これと同じような例として、最終行の“And I love you, Terry Shepherd.”があります。意味はこれ以上簡単な文章はないほど簡単です。「わたしもあなたを愛しているわ、テリー・シェパード」でどこからも文句は出ません。
既訳は「わたしもよ、テリー・シェパード。愛しているわ」。そして評者の私も既訳をよしとします。ここは、危機的状況にある二人が愛を確かめ合っているところです。わたしもあなたを愛している、を二つに切り、間に名前を入れたことで情感がぐんと深まったと私は思います。
 そういう配慮ができるかどうか、それが文芸翻訳のプロと翻訳上手との境界線といえるでしょう。