第16回翻訳コンクール二次試験審査 講評

 今回のテキストは、ジム・ハリスンの長編です。ジム・ハリスンはご存知の方もあるかと思いますが、草原のモーツァルト、あるいは現代のヘミングウェイとも謳われ、自然派作家の代表格の一人です。『レジェンド・オブ・フォール』(“Legend of the Fall”)の作者でもあります。
 ぼくも若い頃に一冊翻訳出版をさせていただきましたが、記憶に残っているのは、とにかく難しかったということです。その出版社の翻訳作品顧問だった片岡義男氏と何度か首をひねったものです。
 本作もまた難しかったですね。正直言って、評者が受験したらどうなっていたことやら、と不安になるほどです。今回、ほぼ全滅状態で、特に会話部分の訳文に精彩がなかったように思います。ハリスンのあの知的で、お洒落で、毒の効いた皮肉が伝わってきませんでした。
 訳例もかなりミスが目立ちます。それを承知の上で受験者の皆様には訳例をお送りします。参考になさってください。また、特にミスの多かった原文箇所を筆者なりにコメントします。ひょっとしたら間違っているかもしれませんが、それもどうぞ参考にしてください。では――
 
 ~as she was at three years,~sometimes offensiveまで。
 この訳例はいかにも難しいところを端折っています。一般的ながら確たる使命感を持ち、その性格は独特で時に攻撃的になる、といったニュアンスが不足しています。しかし多くの訳文の、意味のよくわからないゴタゴタした文章よりはずっとすっきりしているように思います。
 ただし、これは訳者がよくやる逃げの一種で、あまり褒められたことではありません。僕ならこの訳例の調子を崩さず、「ひとりよがり」で、くらいの一文を挿入することでしょう。
 
“The overloaded leverages are coming home to roost,”
 このleverageは経済用語で借入れ資本の意で、車のスビードを指していることは明らかです。 “come home to roost” は「自分にはね返ってくる」なので、訳としては、借金をしすぎると高くつくぞ。くらいでしょう。
 
 Sarie loved birds and cats and could easily overlook the fact that Cortez had destroyed the city and murdered hundreds of thousands citizens―that was to be expected―but ~
 この訳はそんなに難しくありません。ただし、訳例はかなり露骨な誤訳をしています。それでも、―内の、that was to be expectedで僕は少し迷いました。
 つまり、当然予想されたことが、コルテスの極悪非道ぶりなのか、それともサリーがその事実を見逃したことなのか。
 原文からすれば、やはりそれは前者でしょう。それでも僕は、後者を採りたいのです。そのほうがずっと、このパラグラフは小説として面白くなると思います。こういうとき、僕は大いに悩みます。原文どおり、あるいは文法どおりに訳して満足できればもっとずっと翻訳業も楽なのですが。
 
 ~engines at rest only at destinations.
ここは誤訳の多かったところです。長距離トラックは、目的地に着くまでエンジンを切らない、の意味です。
 
 At the time she could not believe his brusque affability translated so well.
 ここもちょっと難しいですね。訳例はよくありません。僕もあまり自信がないのですが、夫の不愛想さが、あれほどの好結果を生む(あれほど好意的に受け入れられよう)とは信じられなかった、くらいでしょうか。
 
 Grandfather told her that the rooster felt the whole world was after his hens, and that was all he thought about.
 ここは比較的簡単な内容ですが、意外と苦戦された方が多かったところです。
 世界中のオンドリが自分のメンドリを狙っている、の意です。
 
He liked to think that ~ the morning’s leading news item.まで
訳文の善し悪しがばらけたところです。訳例もあまりよくありません。
メディアがどのように人生を演出しようとも、現実の人生はディケンズの小説のように陰鬱なもので、だから朝刊のトップニュースは哀れっぽい記事ばかりなのさ、くらいでしょう。
 また、その後に続く、a verbless prayer の意味がはっきりしませんね。動詞のない祈り、ではよくわかりません。言葉(あるいは、行動)を伴わない、ではどうでしょうか。祈りの言葉が出てこなかったのですから、訳例の、祈ることに失敗した、もアリかもしれません。
 
The condition of Jewish ~ was all too specific.まで
 ここも頭をひねらされたところですね。訳例も取り違えているように思います。
 ここは優秀者となられた葉村晶さんの訳がよかったです。全体的に言っても、技術翻訳調の固い訳文が多い中で、文章が小説にふさわしく、こなれたものになっていました。葉村さんの訳文を紹介しましょう。
 
「ユダヤ人であるということは、ほかのマイノリティも同じだろうが、つねに警戒していなければならないということで、そうやって生きているうちに、ついそういうものだと思うようになってしまうから、気をつけなければならない。こういうふうに意識しなければならないことこそが真の重荷で、これはごく一部に対して警戒すればすんだ両親の世代から、ずっと引きつがれてきたものだ。」
 
 最後の一行、too specificを限定的と訳せば、もう少しすっきりするのではないでしょうか。
 
“Oh, your reading in unpleasant areas ~ in the real world.”まで
 意外と誤訳が多かったところです。意外と、という意味は、このような英文での誤訳は致命的になりかねないということです。訳例を参考にしてください。
 
 “I’m not leaving ~ sour note.”まで
 このshitheel fern barが訳しにくいですね。「まあ、意地悪なことをおっしゃるのね。でもだからって、この小洒落た、胸くそ悪いバーから出てきゃしないわよ」ではどうでしょう。高級を気取ったバーなどで、シダなどの植物を飾っていたようなので。
 
 “Not unless ~ automatic rifles.”まで
 デトロイトは今や、自動車ではなく、精神異常者を生み出す街になっていると言われ、GMの重役が、それは従業員にとって嬉しくない話ですな、と切り返す。それを受けて、ドクター・ロスが止めを刺すような毒を吐いたわけです。
 ロスは、そんなこともないでしょう、と言い、その理由を挙げます。このworker-testedが曲者ですよね。GMが心配しているのは、従業員が不足することなのか、それとも従業員まで精神を病むようになることなのか。
 いずれにしても、従業員を的にするというのはGMの解決策にはならないと思います。従業員に試し撃ちをさせた、のほうが近いでしょう。ですから、彼らにオートマチック・ライフルを創らせれば仕事もあるのだから心配ない、の意で訳しても問題はないように思います。
 しかし僕はやはりそれだけでは不満です。僕には、たぶん、精神を病んだ従業員にオートマチックを創らせれば、とんでもない、つまり恐ろしく危険な銃器が完成して、それは世界中でものすごく売れるだろうから会社は心配することもあるまい、とロスは返したように思えるのです。
 読み過ぎ、あるいは誤訳でしょうか。あるいは、いつもの僕の妄想かもしれません。今のところ、僕はまだ悩んでいます。皆さんの意見をうかがいたいところです。