作者の視点がどこにあるか考えよう_文芸翻訳のコツ#12
作者の視点は一定であること
主人公の肩先なのか、上空から俯瞰しているのか、あるいは端役の一人なのか。それを決めてから翻訳を始めましょう。
意図的に視点をずらしている場合を除き、良い作品では作者の視点は絶対に動きません。登場人物それぞれに視点を置いてしまえば(これはつまり芝居のト書きになってしまうのです)、読者にとってこれほど苦痛な、つまらない読み物はないでしょう。
主人公から離れた場所にいる人物の気持ちを描写するには
にもかかわらず、翻訳者が勝手に作者の視点を動かしてしまうことがあります。具体的に言うと、作者の目は主人公の傍らにあって、相手は五十メートルほど離れていたとします。その相手が、身体をピクリと動かした。それを翻訳者が、「彼は気持ちをしゃんとさせた」と訳してしまっては、どうしてそんなことが遠くにいる主人公に見えるんだ、と反論されても仕方がないでしょう。
つまりこういう場合には、「男は気持ちをしゃんとさせたようだ」と曖昧に表現するか、「背筋を伸ばした」とか「胸を張った」とか、相手が気持ちをしゃんとさせたことが窺えるような文章にすべきなのです。
たとえば、E・ヘミングウェイの『十字路の憂鬱』の中に、何十メートルか離れた地点から狙撃兵が敵兵を撃つ場面があります。そこで敵兵は“His hands relaxed”となるわけですが、これを「彼の両腕は緩んだ」と訳してはいけないわけです。腕の筋肉の緩みがわかる距離ではないわけですから。僕はここを「彼の両腕はだらりと垂れ下がった」と訳しました。
これは作者の視点と言う問題を含んでいるため、大変重要な所なのですが、簡単に始末する翻訳者が多くてびっくりするところです。