訳文が美しくなる3つのポイント_文芸翻訳のコツ#4

当たり前のことですが、単純なことに気をつけるだけで、訳文が美しくなります。

例を幾つかあげてみましょう。

避けるべき表現

 ……と、……。……が、……。

この表現をなるべく避けることです。

学校から帰ると、勉強した。

雨が降っていたが、傘を持たずに外出した。

この類いの文章です。僕の経験では、簡単な文章が羅列されていたり、逆に難しい文章が並んでいたりすると、ついこの手の訳文になってしまうことが多く見られます。つまり一行一行の訳文に捉われてしまうのです。

文芸翻訳では、最低でも、パラグラフずつ、あるいは各章ごとの長さで文章を理解することが必要でしょう。

初心者とベテランとの一番の違いは、ここにあります。この理解範囲が異常に狭いのです。初心者は、英文を一文ずつ訳していく。各センテンスずつ訳していくようでは話にならないことをお忘れなく。

主語を二つ並べないこと

特に人名や代名詞は並べないほうがいいでしょう。

例えば、下記の文章はどうでしょう。

彼女が走ってくるのを見た

これは、下記のようにすることもできますね。

彼女が走ってくるのをは見た

あるいは、人称代名詞を固有名詞にすることもできます。

ベティが走ってくるのを見た

といった具合にしてみましょう。

そのほうが日本語としてずっとわかりやすくなるのです。

ただし、これは作者が意図的にやっている場合もありますので、その点の注意はつねにお忘れなく。

 

日本語文の中では、主語を省ける

日本語は主語が数多くあるため、英語の主語を省くことができます

翻訳を始めたばかりの初心者の文章ほど、主語が頻出する

とは多くのプロが指摘するところです。

一方、英語では、それを喋っている人間がはっきり誰某と分かる場合を除いて、主語は欠かせません。

良く言われることですが、「君は男なのだから、あたしとかあたいとかわちきなどと言わず、おれとかぼくとかわしと言いなさい」という文章があるとしましょう。この文章を英語に訳すにはどうしたらいいでしょうか?

英語では、一人称は“I”しかありません。したがって、この文章の英訳は不可能と言うことになるのです。

逆に言えば、もし登場人物に自分を“わし”と呼ばせ、他にそう呼ぶ人物がいない場合には、いちいち「……」の次に誰某が言ったと書く必要がないわけです。

こんな当たり前のことがわからず、英語の文章はすべて訳さなければならないと考えている訳者さんが多いことにびっくりしています!